畑から見る空はどこまでも澄み渡っている

今日はナスと不作だったダイコンの畝を聖地し、とうもろこしの実をピッキングした。その後は野菜を収穫し、畑をみた。

ナスに引き続き、不作だったダイコンの畝も整地した。11月の初旬にスナップエンドウを植える予定だから、それに合わせて僕も何か新しい野菜を植えたい。父に相談したり、調べたりして検討しよう。

昨日に引き続き、とうもろこしの種をピッキングした。父に昨日のピッキングの成果を報告したら、結果が芳しくなかった。ぼくの着地のイメージがズレていて、やり方も非効率になっていた。

なので今日は、父の着地を参考にし、やり方を修正することで、昨日よりもスムーズに早く終わらせることが出来た。

今日『新入社員が教わる側の心構え』というテーマで書かれたキンコン西野さんの記事を拝見した。まずはとりあえずやってみること、そのあとはすぐに上司に提出、そしてフィードバックを頂き、またすぐに改善。これを何よりもスピードを優先してやれ!という内容だ。

僕はこの意識をもっと大事にした方が良い。そう思った。このことに気付けてよかった。僕の今のテーマとも重なる。今日のとうもろこしの実のピッキングを通してそう思った。

畑を見ていて思ったことは、秋の空が気持ちよかった。まるで地上天国のようだ。

僕は今まで、秋の空を見てもここが天国たと思わなかった。

空を見るのはいつも夏か、冬で、空を見るときは暑いなあ、、か。寒いなぁという感想が主だった。

春や秋の時は主に屋内にいた。外に出た際に空を見ても綺麗だなあ、とか青いなあと思う機会が1番多い季節なのに、空の記憶が1番ないのも春と秋の季節だった。

小学校のいじめられていた時は、青い空を見ても、青い空だと思うことがなかった。なんか燻んで見えて、その燻みの重さに引きずられるように下を向いて生きていた。

だんだん大きくなって、20代半ばを過ぎると、青い空の青さを認識できるようになった。空を見る回数が小学生の時よりすこし増えていた。

最近よく秋の空の美しさと青さ、広さに胸を馳せる。こんな素晴らしい世界に生きていたのか?と。

大げさに聞こえるけど、でも空が澄んでいて、綺麗で青の景色が広がってることを認識できて、受け取れる。それは今の俺がとても恵まれた状態であることがわかる。

あの時の経験も必要だったし、今してる経験も必要な経験だ。

生きることは学びを受け取ることに似てる。あとはどこで受け取るか?これが重要になってくる。

光の下で受け取るのか、闇の元で受け取るのか?で過程も結果も違ってくる。

青の空をみて、綺麗だなあ、とか広いなあとか、澄んでるなあ。と思えたことがよかった。

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